高校世界史B

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5分で解ける!自立を強める東アジア(第1問)に関する問題

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5分で解ける!自立を強める東アジア(第1問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
自立を強める東アジア/確認テスト(第1問)

自立を強める東アジア5 確認テスト(前半)

解説

これでわかる!
問題の解説授業
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第44章「自立を強める東アジア」の確認テストです。
この章で学んだ内容を、問題を解いて確認しましょう。

問題(1)

問題1(1)

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空欄A。
毛沢東が掲げたスローガンであり、政策そのものを指す言葉を答えましょう。
正解は「 大躍進 」です。

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空欄B。
農業の集団化などを目指し、毛沢東が設立したのは?
正解は 人民公社 です。

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毛沢東の「大躍進」政策は、人民公社設立などの強引な政策や、ソ連の技術者引き揚げ、大規模な自然災害発生などの要因が重なり、多数の死者を出す結果となりました。毛沢東は、この「大失敗」の責任を取り、国家主席を辞任しました。

(1)の答え
問題1(1)答え入り

問題(2)

問題1(2)

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空欄A。
中ソ論争が始まるきっかけになったもの。平和共存政策ともう1つは?
正解は スターリン批判 です。
ソ連がアメリカへの歩み寄りを見せると、中国はこれに猛反発しました。

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空欄B。
中印国境紛争 が起こるきっかけとなった 反乱 といえば?
正解は チベット 反乱です。

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チベット反乱は中国の人民義勇軍によって弾圧されました。このときチベット仏教の最高指導者ダライ=ラマ14世がインドへ亡命。中国はインドへ身柄の引き渡しを要求しましたが、インドはこれを拒否しました。中国とインドの関係は悪化し、国境紛争が勃発することになったのですが、このときソ連がインドを支援したことで、中ソ関係もますます悪化することになりました。

(2)の答え
問題1(2)答え入り

問題(3)

問題1(3)

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空欄A。
鄧小平とともに調整政策を進めた人物は?
正解は 劉少奇 です。

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空欄B。
毛沢東を支持する学生たちが結成した組織といえば?
正解は 紅衛兵 です。

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空欄C。
毛沢東の権威を利用し、横暴をはたらいたのは?
正解は 四人組 と呼ばれる、毛沢東夫人の江青ら4人の人物です。

(3)の答え
問題1(3)答え入り

問題(4)

問題1(4)

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空欄A。
毛沢東の死後、中国の最高実力者となり「四つの現代化」を掲げ、さらに改革・開放路線を進めた人物は?
正解は 鄧小平 です。

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空欄B。
鄧小平が解体したものは?
正解は 人民公社 です。
農村には生産責任制が導入され、農家は余った農作物を自由に販売できるようになりました。

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空欄C。
共産党の一党独裁を維持しつつ、資本主義経済の仕組みを取り入れる体制を何という?
正解は 社会主義市場経済 です。

(4)の答え
問題1(4)答え入り

問題(5)

問題1(5)

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空欄A。
李承晩の失脚後、軍部クーデタで実権を握って大統領となった人物は?
正解は 朴正熙 (ぼくせいき/パクチョンヒ)です。

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空欄B。
朴正熙が1965年に調印した条約といえば?
正解は 日韓基本条約 です。
この条約で日本と韓国の国交が正常化されました。

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空欄C。
民主化を宣言 し、南北朝鮮の 国連同時加盟 を実現した大統領といえば?
正解は 盧泰愚 (ろたいぐ/ノテウ)です。

(5)の答え
問題1(5)答え入り
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自立を強める東アジア(第1問)
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