高校世界史B
5分でわかる!アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線

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この動画の要点まとめ
ポイント
アメリカもイギリスも嫌い?フランスの独自路線
これでわかる!
ポイントの解説授業
第五共和政の開始!

第二次世界大戦後、フランスでは 第四共和政 が成立しました。ここでは、国民が選挙で選んだ政党が議会や内閣を組織し、議会中心の政治が行われていました。

ところが、第四共和政下のフランスは 混乱状態 に陥りました。インドシナ(ベトナム)やアルジェリアで、フランスからの独立を目指して戦争が起こったからです(インドシナ戦争、アルジェリア戦争)。

このままではフランスが分裂し、共和政が崩壊してしまうかもしれない。そんな危機的な状況で登場したのが ド=ゴール 大統領です。彼は、議会で時間をかけて話し合うのではなく 大統領が強い権限をもってフランスを立て直す 必要性を主張し、1958年に 第五共和政 を開始しました。
独自路線をつらぬくド=ゴール!国内では反発も

ド=ゴールは、大国アメリカやイギリスに頼らない、独自路線の政策・外交を展開しました。例えば、彼のもとでフランスは 核実験に成功 し、アメリカ・イギリス・ソ連に次ぐ核保有国となりました。

外交面では アルジェリア独立を承認 し、さらに 中華人民共和国を承認。 軍事面では NATO軍事機構から脱退 するなど、アメリカやイギリスとは距離を置く路線をつらぬいたのです。

強力なリーダーシップを発揮したド=ゴールでしたが、国内では彼を 独裁的だ と批判する声も上がりました。1968年5月には、学生・労働者・市民による反ドゴール運動 (五月危機) が発生したのです。

さすがはフランス革命の発生地。ド=ゴールはその指導力でフランスを立て直しましたが、自由平等を愛する国民は「独裁」に敏感だったのです。ド=ゴールは五月危機をおさえつけましたが、翌年に退陣することになりました。

ポイントの2つ目は「戦後フランスの独自外交」です。
戦後のフランスでは、アメリカやイギリスに頼らず独自の政治を行おうという動きが出てきます。独自路線を主導した大統領と、彼の政策に注目しましょう。