高校世界史B
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5分で解ける!イギリスの市民革命(第1問)に関する問題

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5分で解ける!イギリスの市民革命(第1問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題
一緒に解いてみよう

イギリスの市民革命/確認テスト(第1問)

高校世界史 イギリスの市民革命6 確認テスト(前半)

解説
これでわかる!

問題の解説授業

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第22章「イギリスの市民革命」の確認テストです。
この章で学んだ内容を、問題を解いて確認しましょう。

問題(1)

問題1(1)

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空欄A。
エリザベス1世の死後に即位した、スコットランド王ジェームズ6世のイギリス国王としての名前は?
正解はジェームズ1世です。

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空欄B。
テューダー朝の後にジェームズ1世が創始した王朝といえば?
正解はステュアート朝です。

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ジェームズ1世はイギリスの伝統的な議会やジェントリを無視した政治を行いました。ステュアート朝は創始してすぐに、議会と対立することになったのです。

(1)の答え
問題1(1)答え入り

問題(2)

問題1(2)

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空欄A。
課税の議会同意不法逮捕の禁止を訴え、議会がチャールズ1世に提出したものといえば?
正解は権利の請願です。

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議会は権利の請願を提出したものの、チャールズ1世はこれを無視して**議会を強制的に解散しました。**ここからおよそ11年間、議会が開催されることはありませんでした。

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空欄B。
1639年、チャールズ1世によるイギリス国教会の強制に対する反乱が起こった場所は?この反乱が議会を再度召集することになったという記述もヒントです。
正解はスコットランドですね。

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チャールズ1世は、スコットランドで起きた反乱を鎮圧するための費用を捻出しようと、自分が解散させた議会を再び召集しました。しかし議会は国王の要求を否定したため、わずか3週間で再び解散することになりました。非常に短期間の議会だったことから、この議会を短期議会と呼ぶのです。

(2)の答え
問題1(2)答え入り

問題(3)

問題1(3)

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空欄A。
鉄騎隊を創設して王党派の軍隊を圧倒した独立派の指導者といえば?
正解はクロムウェルです。

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クロムウェルは、議会派の中でも独立派に属していました。独立派は共和政の樹立を目指し、国王は不要だと唱えていたグループです。

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空欄B。
クロムウェルが王党派の討伐を口実に征服した場所といえば?
正解はアイルランドです。

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彼はアイルランドを征服して、奪った土地をイギリス人地主に分配しました。こうしてアイルランド人の小作人化が進んでいったのです。

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空欄C。
1651年に制定された中継貿易国のオランダに打撃を与えた法律といえば?
正解は航海法です。

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この法律でイギリスは、イギリスと他国との貿易において、自国船か貿易相手国の船の使用しか認めませんでした。つまり中継貿易国であったオランダの船を排除しようとしたのです。

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オランダは当然反発し、イギリス=オランダ戦争へと発展。この戦争でイギリスは勝利を収め、海上覇権を手にしました。

(3)の答え
問題1(3)答え入り

問題(4)

問題1(4)

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チャールズ2世が即位するまでの流れを簡単に振り返ります。エリザベス1世の死後ジェームズ1世チャールズ1世が順に即位し、どちらも専制政治を行いました。議会やイギリス市民は反発し、1640年にピューリタン革命が起こりました。

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その後クロムウェルが主導する共和政の時代を経て、再びイギリスに国王が帰ってきたのでしたね(=王政復古)。その「帰ってきた国王」こそがチャールズ2世なのです。

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空欄AとB。
チャールズ2世の専制政治に対抗し、議会が制定したイギリス国教徒以外の公職就任の禁止を定めた法律といえば?
正解は審査法です。
審査法の後に制定された、国王による不当逮捕の禁止を定めた法律といえば?
正解は人身保護法です。

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空欄C。
トーリ党と対立し、後の自由党となった政党といえば?
正解はホイッグ(党)です。
チャールズ2世の弟
ジェームズ
の即位を認めるか否かで、イギリス議会はトーリ党とホイッグ党の2つに分裂したのです。

(4)の答え
問題1(4)答え入り

問題(5)

問題1(5)

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空欄A。
チャールズ2世の死後に即位した国王といえば?
正解はジェームズ2世です。
ジェームズ2世は、兄チャールズ2世と同じく専制政治を行いました。

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空欄B。
ジェームズ2世の圧政に耐えかねた議会は、オランダ総督のオラニエ公ウィレムと、その妻メアリを国王として招き、ジェームス2世を亡命に追い込みました。この一連の政変を何と言いますか?
正解は名誉革命です。

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国王を亡命させる過程において血が一滴も流れなかったことから「名誉」革命と呼ばれています。これでイギリス議会は国内から専制政治を追い出すことに成功しました。

(5)の答え
問題1(5)答え入り

問題(6)

問題1(6)

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空欄A。
オランダから招かれたウィレムとメアリが、イギリス国王として即位するにあたって承認した、王権に対する議会の優位性を認めるものといえば?
正解は権利の宣言です。
オラニエ公ウィレムとメアリは、専制政治を行わず、議会を尊重することを約束したのです。

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空欄B。
「権利の宣言」を法文化したものといえば?
正解は権利の章典です。
権利の章典が発布されたことで議会主権と王権の制限が確立し、イギリス立憲君主政治の出発点となりました。

(6)の答え
問題1(6)答え入り

問題(7)

問題1(7)

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空欄A。
アン女王の時代にイングランドとスコットランドが合併してできた国といえば?
正解は大ブリテン王国です。

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空欄B。
アン女王の死後に即位したジョージ1世が創始した王朝といえば?
正解はハノーヴァー朝です。

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ドイツ出身のジョージ1世は英語が話せず、政治にも無関心でした。そのため、国王に代わって政治を執り行う組織が登場します。それが内閣です。イギリスでは、ハノーヴァー朝の時代に責任内閣制度が確立することになりました。

(7)の答え
問題1(7)答え入り
Shinzato
この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

イギリスの市民革命(第1問)
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      イギリスの市民革命

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