高校世界史B
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5分でわかる!これまでの中国が大きく変わる!?

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5分でわかる!これまでの中国が大きく変わる!?

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この動画の要点まとめ

ポイント

これまでの中国が大きく変わる!?

高校世界史 東アジア世界の展開1 ポ3 答え全部

これでわかる!

ポイントの解説授業

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ポイントの3つ目は「北宋の建国」です。
今回は960年に成立した北宋という王朝のお話です。

五代十国の混乱を終結させ、北宋王朝が成立

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唐王朝が滅亡した後「五代」と呼ばれる王朝が順に登場しました。後梁後唐後晋後漢後周の5つでしたね。この混乱をしずめたのが北宋王朝だったのです。北宋は都を開封におきました。こちらを見てください。

ポ3の地図のみ/書き込みアリ

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地図には北宋の領土が示されています。そして「契丹」という字も書いてありますね。当時、北宋の北側には契丹という民族がいて、北宋にプレッシャーをかけていたのです。

領土は狭くても、商業活動は非常に活発!

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今まで勉強してきた中国王朝と比べると、北宋の領土は小さめです。ただし領土は狭くても、北宋は経済大国として繁栄していました。

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その秘密は、北宋の都開封にあります。開封は黄河と大運河の合流地点に位置し、さまざまな商品や多くの人が集まる貿易都市だったのです。開封には南北から様々な物資が集まり、商業活動が活発に行われました。そのため、領土は小さくても、北宋は空前の経済大国として発展したのです。

北宋の建国者である趙匡胤は、文治主義へ移行

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北宋を建国したのは趙匡胤(ちょうきょういん)という人物です。彼は文治主義への移行を行いました。文治主義とは軍人ではない人が政治を行う考え方のこと。趙匡胤は、唐末から五代までの混乱の要因は軍人による政治にあると考えたのです。

高校世界史 東アジア世界の展開1 ポ3 答え全部

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趙匡胤は、科挙の最終試験に殿試(でんし)を追加しました。殿試の内容は皇帝による直接面談です。文治主義を実践するため、皇帝自ら優秀な官僚を確保しようとしたのです。また、地方の独立に歯止めをかけるべく節度使の削減や改編も行いました。

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以上、北宋の成立についての説明でした。建国者である趙匡胤は、文治主義に移行したことをおさえておきましょう。

Shinzato
この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

これまでの中国が大きく変わる!?
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      東アジア世界の展開

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