中学歴史
5分でわかる!秀吉の朝鮮出兵
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
国内に敵なし 秀吉、朝鮮出兵を行う
これでわかる!
ポイントの解説授業
文禄の役と慶長の役 2度にわたる朝鮮出兵
秀吉は、最終的には 明(中国) の支配をたくらんでいました。
その前段階として、 まずは朝鮮を支配しよう と考えたのです。
こちらを見てください。
秀吉は、2度にわたる朝鮮出兵を行いました。
1回目が、1592年の 文禄の役 です。
朝鮮国の首都、 漢城 の占領に成功したものの、朝鮮の 李舜臣 という人物が率いた朝鮮水軍に苦戦します。
結局、文禄の役は失敗に終わりました。
2回目が、1597年の 慶長の役 です。
朝鮮軍と一進一退の攻防を繰り返しますが、途中で 秀吉が死んでしまいます。
朝鮮出兵の立案者である秀吉が亡くなった以上、苦しい戦いを続ける必要もなくなり、1598年には朝鮮から撤退します。
朝鮮出兵に参加しなかった徳川家康が力をつける
朝鮮出兵をうけて、豊臣氏に仕えていた大名の多くが兵を失うこととなりました。
しかし、主要な大名の中で一人、朝鮮出兵には参加しなかった人物がいました。 徳川家康 です。
秀吉から関東地方の支配を任されていた彼は、関東の開発に専念するという名目で、朝鮮出兵の不参加を許されていました。
朝鮮出兵の結果、秀吉は死に、彼に仕える武将は弱体化するという、家康にとっては願ってもない状況になりました。
徐々に力をつけていった家康は、後に 江戸幕府を開く のです。
安土桃山時代2のポイント1は、「秀吉の朝鮮出兵」です。
国内の統一を果たした秀吉は、国外へと目を向けます。
朝鮮 へ兵を送り、新たな土地を獲得しようとしたのです。