高校世界史B
5分でわかる!東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
東ヨーロッパ世界には大きな変化が!?
これでわかる!
ポイントの解説授業
東欧諸国はソ連の「衛星国」となった!
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第二次世界大戦で、東欧諸国の多くはドイツに占領されました。そして、その占領から解放してくれたのは ソ連 でした。こうして戦後の東欧では、ソ連の影響が強く及ぶようになったのです。
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戦後、ポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアなどの国々は 人民民主主義 を掲げました。これは戦前、ファシズムに対抗した 人民戦線 のように、共産党や他の政党が協力して政治を行おうとする考え方です。
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しかしソ連の影響のもとで、各国は次第に ソ連の衛星国 となっていきました。ソ連の言いなりとなる国、という意味です。各国では共産党が勢力を伸ばし、実質的にソ連と同じ共産党独裁へと移っていきました。
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ただし、東欧諸国の中で ユーゴスラヴィア は例外でした。ユーゴスラヴィアは、指導者 ティトー のもとでパルチザン闘争を展開し 自力でドイツ軍を追い出していたからです。
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東欧諸国の多くがソ連の援助でドイツ占領から解放されたのに対し、ユーゴスラヴィアは自力でドイツを退けました。だからこそ、ユーゴスラヴィアはソ連の言いなりとはならなかったのです。ティトーは社会主義路線を取りながらも、ソ連の指導者スターリンとは距離を置く外交を展開しました。
チャーチルの「鉄のカーテン」演説
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東欧地域にソ連の影響が広がる様子を見て、訪米したイギリスの元首相 チャーチル は「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に 鉄のカーテン が降ろされた」と演説しました。
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ソ連と東欧の 社会主義諸国 と、西欧の 資本主義諸国 との分断を「鉄のカーテン」と表現したのです。
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東欧で勢力を広げるソ連と、それを警戒する西欧諸国。この対立が発展し、やがて 冷戦 が発生することになりました。
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ポイントの2つ目は「戦後の東ヨーロッパ」です。
東ヨーロッパ諸国では、いったいどんな動きが見られたのでしょうか?