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【中学歴史】建武の新政とは?

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この記事では、 「建武の新政について詳しく知りたい」という人に向けて解説 します。また、テストでよく出題される「建武の新政」に関する問題も紹介します。

1. 建武の新政とは?

1333年、鎌倉幕府を倒した 後醍醐天皇 は、天皇を中心とする新たな政治を始めました。この政治のことを、当時の年号「建武」に由来して 建武の新政 といいます。

建武の新政は、公家(朝廷につかえる貴族)と武家の区別ない、天皇中心の政治を理想にかかげていましたが、実際は 公家を重視した政治 でした。そのため武士の間で不満が高まり、足利尊氏が挙兵すると、新政はわずか2年で終わりをむかえました。

2. 建武の新政に関する一問一答

問題

後醍醐天皇が始めた、天皇中心の政治を何という?

解答と解説

答えは 建武の新政 。「 後醍醐天皇が始めた 」という記述がヒントです。

3. 建武の新政を行った人物に関する問題

問題

建武の新政を行った人物は次のうちどれ?

(ア)足利尊氏
(イ)白河天皇
(ウ)後鳥羽上皇
(エ)後醍醐天皇

解答と解説

正解は (エ) 。1333年、鎌倉幕府を倒した 後醍醐天皇 が建武の新政を始めました。

(ア) 足利尊氏 は、建武の新政に反発する武士をまとめて挙兵。建武の新政を終わらせました。
(イ) 白河天皇 は、1086年に白河上皇として 院政 を始めました。
(ウ) 後鳥羽上皇 は、北条氏の執権政治から実権を取り戻そうと、1221年に 承久の乱 を起こしました。

4. 建武の新政の前後の出来事に関する問題

問題

次のうち、「建武の新政」より後のできごとはどれ?

(ア)元寇
(イ)南北朝の合一
(ウ)日宋貿易の開始
(エ)六波羅探題の設置

解答と解説

正解は (イ) 。南北朝の合一は1392年のできごとです。建武の新政(1333~1336年)が失敗に終わった後、足利尊氏は光明(こうみょう)天皇をたて、京都に幕府を開きました( 北朝 )。一方、後醍醐天皇は吉野(現在の奈良県)に逃れました( 南朝 )。南北朝の対立は約60年続きましたが、1392年に足利義満が統一しました。

(ア) 元寇 は鎌倉時代のできごと。1274年の 文永の役 、1281年の弘安の役 と、元軍による2度の襲来がありました。
(ウ) 日宋貿易の開始 といえば 平清盛 の時代。1167年に武士として初めて太政大臣になった平清盛は、兵庫の港(大輪田泊)を整備して、日宋貿易を進めました。
(エ) 六波羅探題の設置 は、鎌倉時代のできごと。1221年、後鳥羽上皇がおこした 承久の乱 の後に、幕府が朝廷を監視する目的で設置されました。

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