5分でわかる!たくさんやってきたイエズス会宣教師たち!
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この動画の要点まとめ
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宗教改革で劣勢に立たされたカトリック!海外布教で形勢逆転をねらう
16世紀のヨーロッパでは 宗教改革 の動きが見られました。ドイツの ルター らが ローマ=カトリック教会を批判 したことで、キリスト教の改革運動が始まったのです。
批判を受けた カトリック勢力 は、ヨーロッパで劣勢に立たされました。そこで彼らは ヨーロッパ以外のキリスト教が広まっていない地域 に進出し、カトリックを布教して勢力を伸ばそうとしたのです。こうした事情から、多くの宣教師がアメリカ大陸やアジアを訪れました。
宣教師は中国にもやってきて、皇帝から布教の許可を得ようとしました。彼らは手土産として ヨーロッパの科学技術 をもたらし、その見返りに布教を行おうとしたのです。
中国を訪れた宣教師<前半>
それでは、中国を訪れた宣教師を紹介していきます。まずは前半、3人の人物を紹介します。こちらを見てください。
1人目はスペインの フランシスコ=ザビエル です。日本史にも登場する有名人物ですね。彼は イエズス会の創設メンバーの1人 です。
2人目はイタリアの マテオ=リッチ です。彼は、中国初の世界地図である「 坤與万国全図 (こんよばんこくぜんず)」を作成しました。また、『 農政全書 』で有名な 徐光啓 (じょこうけい)と協力して、エウクレイデス( ユークリッド )の幾何学の紹介書である『 幾何原本 』を著しました。
3人目はドイツの アダム=シャール です。彼も徐光啓と協同で『 崇禎暦書 (すうていれきしょ)』という暦法の研究書を著しました。
中国を訪れた宣教師<後半>
中国を訪れた宣教師、後半の3人を紹介します。こちらを見てください。
1人目はベルギーの フェルビースト です。彼は 大砲 の鋳造技術を中国に紹介しました。
2人目はフランスの ブーヴェ です。彼は「 皇與全覧図 (こうよぜんらんず)」という、中国初の実測地図を作成しました。
3人目はイタリアの カスティリオーネ です。北京郊外に 円明園 (えんめいえん)という、清の離宮・庭園を作ったことで知られています。
以上、明・清を訪れたイエズス会宣教師を紹介しました。それぞれの名前と業績をおさえておきましょう。
ポイントの3つ目は「明・清を訪れた宣教師」です。
明・清代には、多くの イエズス会宣教師 が中国を訪れました。彼らが中国にやってきたのには、ある理由がありました。