高校世界史B
5分で解ける!永楽帝の時代と、明への外圧に関する問題
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の問題と解説
練習
一緒に解いてみよう
下のカッコ内に入る語句を答えよう
解説
これでわかる!
練習の解説授業
明の全盛期!
まず、明の全盛期について確認していきましょう。
明は、第3代 永楽帝 の時代に全盛期を迎えました。永楽帝は1421年に 北京 に遷都し、宮殿として 紫禁城 を造営します。さらに、 内閣大学士の設置や宦官の重用 を進めました。
永楽帝は15世紀前半に ベトナム を一時支配したり、自ら軍を率いて モンゴル遠征 を合計5回行うなど、積極的な対外遠征も行いました。イスラーム教徒の宦官であった 鄭和 (ていわ)は、永楽帝の命を受け、東南アジア・インド・西アジアを経由してアフリカまで至る 南海諸国遠征 を行いました。
北から、南から…明を襲う外部勢力!
続いて、明への外圧について確認しましょう。
永楽帝の死後、明は国土の南北からの外圧に苦しめられるようになりました。これを 北虜南倭 と呼びます。北から侵入してきたのは オイラト や タタール という民族でした。西北モンゴリアを根拠地とする オイラト は、1449年の 土木の変 で 明の正統帝を捕縛しました。 東モンゴリアからやってきた タタール は、 アルタン=ハン という首長の下で北京を包囲するなど、明を苦しめました。
こうした北方民族の侵入に際し、明は 万里の長城 を修築することで対抗しましたが、長城の修築費用は明の財政に大きな負担としてのしかかりました。
一方、南から明を苦しめたのは 倭寇 でした。倭寇は、14世紀の 前期倭寇 と、16世紀の 後期倭寇 とに分かれます。倭寇のメンバーは、前期は 日本人 が中心で、後期は 中国人 が中心でした。
高校世界史Bの問題
- 先史時代
- 古代オリエント
- ギリシア世界
- ローマ世界
- インドの古典文明
- 東南アジア前近代史
- 中国の古典文明
- 中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)
- 東アジア文明圏の形成(隋・唐)
- イスラーム世界
- 中世ヨーロッパ世界の成立
- 中世ヨーロッパ世界の展開
- 中世ヨーロッパ世界の各国史
- 東アジア世界の展開
- 中国周辺地域史
- イスラーム世界の繁栄
- ルネサンスと大航海時代
- 宗教改革
- 主権国家体制と西欧絶対王政
- 東欧絶対王政
- イギリスの市民革命
- アメリカ世界の成立
- フランス革命とナポレオン
- ウィーン体制の成立と崩壊
- 19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
- 19世紀の欧米諸国(2) 露・米
- 19世紀の欧米諸国(3) 19世紀の欧米文化
- 中国と朝鮮の植民地化
- アジア諸地域の植民地化
- 帝国主義の時代
- 世界分割と列強の対立
- 帝国主義と東アジア
- 帝国主義とアジアの民族運動
- 第一次世界大戦とロシア革命
- ヴェルサイユ体制とワシントン体制
- 第一次世界大戦後の欧米諸国
- 戦間期のアジア諸地域
- 世界恐慌とファシズム諸国の侵略
- 第二次世界大戦と戦後秩序の形成
- 米ソ冷戦の時代
- 冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
- 第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り
- 自立を強める東アジア
- アジア諸地域の紛争
- 経済危機と冷戦の終結
- 現代文明と各地の紛争
今回は永楽帝の時代と明への外圧についての学習でした。
内容をおさらいしていきましょう。