高校世界史B
5分でわかる!清のとった「アメ」と「ムチ」
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
清のとった「アメ」と「ムチ」
これでわかる!
ポイントの解説授業
数で劣る満州人は、大多数の漢民族をどのように支配したのでしょうか?ポイント2では、清の 統治の工夫 に注目します。その際キーワードになるのが「 アメとムチ 」です。漢民族に優しい「アメ」の政策と、漢民族に厳しい「ムチ」の政策。まずは「アメ」の政策から見ていきましょう。
清の統治体制「アメ」
清の統治体制の多くは 明の時代を引き継いだものになっています。 皇帝直属の 行政上の最高機関 である 六部 や、官吏登用試験である 科挙 などはその代表例です。
明の時代と違うのは、 満漢併用制 という仕組みです。清は重要な官職の定員を 偶数 に設定し、 満州人と漢人を同じ人数採用しました。 満州人にも漢人にも不満がでないように配慮したのです。
明の時代の制度を継承し、満漢併用制を採用。以上が、漢民族に配慮した「アメ」の政策です。
清の統治体制「ムチ」
つづいて「ムチ」の政策に注目します。こちらを見てください。
清は、満州人の伝統的な髪型である 辮髪 (べんぱつ)を漢人に強制しました。頭髪を剃りあげ、後頭部の一部をおさげに結ぶという独特の髪型です。この髪型を漢人に強制することで 満州人が支配者であることを意識づけようとしたのです。
さらに 文字の獄 (もんじのごく)という 言論・思想弾圧 も行い、清や満州人に反抗的な書物を徹底的に弾圧しました。このように、思想統制のために特定の書物を禁止すること、またはその禁止された書物のことを 禁書 (きんしょ)といいます。
以上、清の「アメ」と「ムチ」の政策を紹介しました。それぞれの内容をしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「清の統治体制」です。
これまでの授業で何度か説明しましたが、清を建国したのは 中国人(漢民族) ではなく 満州人 でした。清王朝とは 少数の満州人が、多数の漢民族を支配する王朝 だったのです。