高校世界史B

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5分で解ける!第2次民族移動の時代に関する問題

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この動画の問題と解説

練習

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高校世界史 中世ヨーロッパ世界の成立3 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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今回は第2次民族移動の時代についての学習でした。
内容をおさらいしていきましょう。

フランク王国の分裂

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まずは フランク王国分裂の流れ を確認します。
カール大帝の死後、843年に ヴェルダン条約 が結ばれ、フランク王国は 中部フランク・東フランク・西フランク の3つに分裂しました。そして870年の メルセン条約 では 中部フランクの一部が東西フランクへ割譲されたのです。 領土が縮小した中部フランクと、領土が拡大した東フランク・西フランクは、それぞれ現在の イタリア・ドイツ・フランス の原形となりました。

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東フランクでは、カロリング朝に代わって ザクセン朝 が開かれます。ザクセン家出身の国王 オットー1世 の時代には、東から侵入してきた マジャール人 を撃退します。この功績を高く評価したローマ教皇は、962年にオットーにローマ皇帝位を授けました。これ以降、東フランクは 神聖ローマ帝国 と呼ばれるようになります。

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西フランクでは、パリ伯の ユーグ=カペー がカロリング朝に代わって カペー朝 を開きます。
中部フランク(イタリア)では、カロリング朝断絶後に国全体を支配する国王は現れず、近代まで分裂状態が続きました。

また民族の侵入!?

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続いて ノルマン人の侵入 について確認します。
ノルマン人は別名 ヴァイキング とも呼ばれます。「ヴァイキング」とは「入り江の民」の意味で、彼らの原住地である スカンディナヴィア半島ユトランド半島 といった地理的な条件に由来した呼び名です。ノルマン人たちは 船を使ってヨーロッパ各地に侵入していきました。

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ロシアでは、862年にリューリクが ノヴゴロド国 を建国。これが現在のロシアの原型になったとされています。なお、同じ年にノブゴロド国南部のドニエプル川流域に キエフ公国 が建国されたこともおさえておきましょう。

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北フランスでは、911年にロロが ノルマンディー公国 を建国しました。
イギリス(大ブリテン島)では、ノルマン人の一派である デーン人 がイングランド王国と激しく争いました。デーン人はイングランドの アルフレッド大王 に撃退されて一時撤退しますが、大王の死後再びイングランドに攻め込み、ついに征服を果たしたのです。その時のデーン人のリーダーが クヌート という人物。彼はデンマーク・イギリス・ノルウェーを跨ぐ広大な「 北海帝国 」を成立させました。

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地中海(南イタリア)では、12世紀に 両シチリア王国 が建国されます。この王国は19世紀まで存続します。

答え
高校世界史 中世ヨーロッパ世界の成立3 練習
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第2次民族移動の時代
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中世ヨーロッパ世界の成立

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